死の教科書 | ときどき反省

死の教科書

そんなタイトルの本を友達の結婚式から帰ってきた夜に読み終えた。
その本は自殺マニュアルではない。

年度始まり&エイプリルフールの晴れた爽やかな朝から書く内容かな?とも一瞬は躊躇ったけど、まぁ、いいか!って結論に。
昨日、友達に独身=残り物発言されたショックもあるのかな?
独身のみなさま、結婚してないのは、クセが強くてできないかららしいですよ!!
私は、その発言以降、心穏やかじゃないっす!

それはさておき、私が何故、そんなに朝からヘビーなタイトルの本の話をするかといえば、一読の価値があるからに他ならない。
その本は、ついつい「死」を切り離したり、タブー視する現代において、死は当たり前のもので、生きるということを考える上で、必ず必要なものであることを再確認させてくれる。
だって、みなさま、この答えって、自分なりの正解を答えられる?

何故、人を殺しちゃいけないのですか?
何故、同じ死にランクが存在するのですか?
死を選ぶ自由もあるでしょう?
死んだら、生き返らないの?
死は、今の私に関係あるの?

保育士してる妹と難しいね~って、実家で話していた。
今の日本の子供たち(たぶんクローズアップされてなかっただけで、昔もいたはず)は、生活の中から死を切り離した日常を送っていて、ゲームやお話の死が彼らの死の認識である可能性が高くて、死んでも生き返ると本当に思っているらしい。
そういった人たちには、殺人も自殺も罪悪感ないだろうっていうのも想像つくでしょ?
そういえば、死に逝く人の最期の場所は病院であることが多いし、死体は転がっていない。
私は子供と接する機会はほとんどないし、病人とも接する機会はほとんどない。
死だけじゃなくて、全ての当たり前は、当たり前のように切り離した日常を送っている。
これじゃ、当たり前の疑似体験するしか知識を得られないかも。
それは、本かもしれないし、テレビやネットやゲームかもしれない。
誰のせいとか、社会がとか、何かのせいにする前に、悲しいよね。
せっかく、今、生きてるのに、生きることも死ぬことも全くわからないで、わかったふりをするのって。
生き死になんて、誰もわからないから、そこに意味を探して、あるいは一つの仮説を元に目的を設定して達成すること目指しているのが、生きてるのを楽しむってことなんだろうと思うけど、死んでも生き返るって「わかっている」人たちには、そんなこと楽しめないと思う。
だって、今がイヤなら、リセットして、楽しい人生選ぶでしょ。

私は、今も生きることも死ぬこともわからないけど、生きることも死ぬことも自然なんだろうって思う。
だから、自然じゃない死に方の殺人も自殺も違和感を感じるんだと思う。

私は自殺するつもりはないけど、死って、いつも隣にあると思ってしまう。
切り離せない。
今は元気だけど、次の瞬間には何かのハプニングで違ってるかも。
現実に、今の瞬間も私じゃない誰かにその瞬間がきたわけでしょ?
そう思うと、切り離せないし、だから、いつもこの瞬間を大切にしたいんだと思う。

例えば、私が本当に生まれ変わったとして、それは今の私に何の意味があるの?
私は今の私のまま楽しみを見つけたり、幸せにならないと、私が幸せとは言えない。
だから、生まれ変わりなんて関係ない!